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久しぶりに行ってまいりました、森美術館。
以前書いた、恩師の企画展です。

展覧会ですが、

凄かったです。
の、ひと言に尽きると思います。


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1945年、東京は焼け野原になり、原爆によって2つの街が壊滅的状況となりました。

そんな、絶望的とも言える状況の中で当時の建築家たちは
日本の恒久平和を願い、街を復興させていこうと動き出し、
翌年には東京戦災復興コンペが行われました。

広島には広島ピースセンター(現・平和記念資料館及び平和記念公園)を
街のコアとした計画を立ち上げました。

伊勢湾台風で大きな被害を受けた農村には
農村都市計画が提案されました。

東京の人口が急激に増えた1960年代には、新宿には空中都市、
東京湾には洪水にも対応した海上都市が提案されました。

世界デザイン会議1960、大阪万博で世界中に日本の技術力、デザイン力を
アピールする機会を得て、建築家たちは次々に世界へと進出しました。


実現したものも、計画で終わったものも、今見ても古いものなど一つも無いのです。
東京計画1960の構想は、築地と木更津を繋ぐ、まさに今の海ほたるがある辺りに
そうだなぁ…あ、ドバイの海上都市の様な形で広がっていく画期的なモノです。
計画の中には、現在の三陸の復興に再検討されているものもあるとか・・・。

展示を見ていて、ここに感じる熱・熱さは
ただ復興や便利さを求めているワケではなく、
人々の平和や安全、心の豊かさなんかまでその都市計画に盛り込んで
国をも本気で動かす勢いで実現を願って活動していた、その気持ちなんだと思うのです。
50年も前に、2011年を見透かしているかのような計画の数々に
今の建築業界の低迷を、その場しのぎの計画の無さを感じてしまうのです。
今は亡き、メタボリストの方々はどう思っているんでしょうね。
今も現役のメタボリストの方々は現状を歯がゆい思いをしているのかもしれませんね。

そんなものも、どうぞ間近で感じてください。
年明け15日まで開催中です。


私が学生時代に設計課題で
『いやん良いモノ思いついちゃったっ
って鼻高々でプレゼンしたもの、
50年前にメタボリストたちが既に計画してたらしい事は永久に内緒・・・q(T▽Tq)(pT▽T)p

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